鎖国とは?
江戸時代に日本が外部との接触を厳しく制限し、外国との交流をほぼ断つ政策のことです。この政策は、1600年代初頭から約250年続きました。
鎖国政策とは?
鎖国政策では、外国との貿易や交流が一部の指定された地域や国に限られました。主なポイントは以下の通りです。
外国との貿易の制限
日本との貿易は、長崎の出島に限られました。
出島では、オランダや中国との貿易が許可されていましたが、他の国との貿易は禁止されました。
外国人の入国と日本人の海外渡航の禁止
外国人が日本に入ること、日本人が海外に渡航することが厳しく制限されていました。
特に、日本人が海外に出て戻ってくることは禁じられていました。
キリスト教の禁止
日本に伝来していたキリスト教が、鎖国の一因となりました。
江戸幕府は、キリスト教が日本の伝統的な社会や秩序を乱すと考え、厳しく取り締まりました。キリスト教徒は弾圧され、キリスト教の布教活動は禁じられました。
なぜ日本は鎖国政策を取ったのか?
日本が鎖国政策を取った理由は以下が考えられます。
国内の安定を保つため
江戸時代初期、徳川家康が天下を統一しましたが、日本国内にはまだ多くの不安定な要素が残っていました。
外国からの影響を最小限にすることで、国内の秩序と安定を保ち、徳川幕府の支配を確立しようとしました。
キリスト教の脅威と社会の安定
キリスト教が日本に広がることで、伝統的な日本の宗教や社会秩序が揺らぐことを幕府は恐れていました。
また、キリスト教徒が増えることで、彼らが外国勢力と結びつき、反乱を起こす可能性も懸念されました。そのため、キリスト教の影響を排除するために鎖国政策が採られました。
幕府の支配力強化
外国勢力が日本に影響を与えることを防ぐことで、幕府は自らの支配力を強化しようとしました。
特に、大名(各地の領主)が外国と結びついて幕府に対抗することを避けるために、外部との接触を制限しました。
鎖国の影響
鎖国政策により、日本は約250年間、比較的安定した平和な時代を過ごしました。
しかし、その一方で、科学技術や国際関係の面で他国と比べて遅れを取る結果ともなりました。
鎖国が終わり、開国した後、日本は急速に西洋の技術や文化を取り入れ、近代化を進めることになりました。
まとめ
鎖国とは、日本が江戸時代に取った政策で、外国との接触を厳しく制限し、国内の安定を図ったものです。
この政策は、キリスト教の影響を防ぎ、幕府の支配を強化するために導入されましたが、同時に日本を世界から孤立させる結果ともなりました。
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